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カンバーランド (重巡洋艦) : ミニ英和和英辞書
カンバーランド (重巡洋艦)[かん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
ラン : [らん]
 【名詞】 1. (1) run 2. (2) LAN (local area network) 3. (P), (n) (1) run/(2) LAN (local area network)
: [おも]
  1. (adj-na,n) main 2. principal 3. important
巡洋艦 : [じゅんようかん]
 (n) cruiser
: [かん]
  1. (n,n-suf) warship 

カンバーランド (重巡洋艦) : ウィキペディア日本語版
カンバーランド (重巡洋艦)[かん]

カンバーランド (HMS Cumberland, 57) は、イギリス海軍第二次世界大戦前に建造されたカウンティ級重巡洋艦の1隻である。
==艦歴==
カンバーランドは1924年10月18日にバロー・イン・ファーネスヴィッカース・アームストロング社造船所で起工し、1926年3月16日進水、1928年2月23日に就役した。
1928年から1938年まで中国の第5巡洋艦戦隊に配属されたが、その間の1935年に一旦英国に帰投し、水線部装甲の強化など近代化改装を施されている。
1938年に第2巡洋艦戦隊所属として南大西洋へ派遣され、同地で1939年の第二次世界大戦勃発を迎えた。カンバーランドは南米大陸沿岸を航行するドイツの封鎖突破船の捜索に従事、同年10月からはリアンダー級軽巡洋艦アキリーズ」及び「エイジャックス」、
ヨーク級重巡洋艦エクセター」の3隻と共にG部隊(Force G)を編成し、大西洋からインド洋一帯で通商破壊を続けるドイツ海軍ドイッチュラント級装甲艦アドミラル・グラーフ・シュペー」の追跡にあたった。1939年12月5日、カンバーランドはエイジャックスと共にドイツ客船「ウスクマ」を捕捉、拿捕を恐れたウスクマを自沈に追い込んだ。
12月13日にG部隊とシュペーと相対してラプラタ沖海戦が発生したが、カンバーランドはフォークランド諸島ポート・スタンリーで整備中であった為に、この海戦には参加できなかった。傷ついたシュペーのモンテビデオ入港を受けて、カンバーランドもラプラタ川河口へ向かい、海戦に参加したG部隊の僚艦に合流して河口の封鎖を行った。
シュペーの自沈後は引き続き南大西洋においてドイツ艦船捜索や通商保護に従事し、その間の1940年3月に第6巡洋艦戦隊に編入されている。1940年6月2日、カンバーランドは英国へ向かう兵員輸送船団US3を護衛しケープタウンを出航、6月16日に英国に到着した船団から離れた。続いて6月25日から中東へ向かうWS1船団の護衛としてグリーノックを出航。7月16日、船団と共にケープタウンに到着し、7月19日に出航、一時ドイツ海軍仮装巡洋艦トール」捜索に動員された。7月29日に船団はセイロンに到着し、カンバーランドは護衛から離れた。
9月16日、弾薬輸送中のヴィシー・フランス籍の商船「ポワチエ(Poitiers)」を撃沈、9月18日にはダカールを出撃したヴィシー・フランス海軍のラ・ガリソニエール級軽巡洋艦グロワール」・「モンカルム」・「ジョルジュ・レイグ」の追跡に投入された。9月21日、自由フランス軍によるダカール上陸作戦(メナス作戦、Operation Menace)支援の為にクイーン・エリザベス級戦艦バーラム」、リヴェンジ級戦艦レゾリューション」、空母「アーク・ロイヤル」、重巡洋艦デボンシャー等に合流したが、9月23日の作戦当日、カンバーランドは沿岸砲台から命中弾を受けて中破し、8名の戦死者を出して後退した(ダカール沖海戦)。
10月からはケープタウンを拠点に大西洋での船団護衛や通商保護に従事し、ドイツ海軍のドイッチュラント級装甲艦「アドミラル・シェーア」や仮装巡洋艦トールの捜索に参加した。
1941年6月30日から9月までチャタム工廠で修理、改装を受けた後、カンバーランドの活動の場は北へ移った。10月に本国艦隊第1巡洋艦戦隊に編入され、1942年から1943年まで、ソ連へ向かうPQ17船団PQ18船団JW51B船団、JW53船団、ソ連から戻るQP5、QP13、QP14、RA53船団の護衛を行った。また、1942年9月にノルウェー人部隊をスピッツベルゲン諸島へ上陸させるギヤボックス作戦に、1943年5月にはスピッツベルゲン諸島の守備隊を交代させるギヤボックスII作戦に参加した。このほか、1942年11月にはトーチ作戦にも参加している。
1943年8月より、東洋艦隊への配備を前に2番・3番主砲塔上に20mm機銃の増備、レーダー機器の更新などの改装工事を受け、1944年1月に同艦隊の第4巡洋艦戦隊所属としてインド洋へ向かった。以後対日戦に従事し、以下の作戦に参加した。
*クリムズン作戦 - 1944年7月。サバンなどに対する空襲、艦砲射撃。
*ライト作戦 - 1944年9月。スマトラ島シグリ空襲。
*ミレット作戦 - 1944年10月。ニコバル諸島攻撃。
*サンフィッシュ作戦 - 1945年4月。サバン砲撃など。
*ビショップ作戦 - 1945年4月。ポートブレアなどに対する攻撃。

第二次世界大戦終結後、カンバーランドはインドネシア独立戦争に伴ってオランダ領東インドへ進駐したイギリス軍の支援にあたり、1945年11月にイギリスへ帰還した。その後は1946年6月まで極東からのイギリス軍部隊輸送に従事し、1949年から1951年にかけてデヴォンポートにおいて試験艦に改装され、以後は様々な兵装の試験台として使用された。1959年1月14日に除籍され、鉄屑として売却後の同年11月3日、解体の為ニューポートへ回航された。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「カンバーランド (重巡洋艦)」の詳細全文を読む




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